森の休日社 編集Aの日記(C)

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ー茲蠧れたい!!世界のいじめ対策!!!&井上憲司氏Ragaレクチャー

リラックマVer.2

朝の情報番組「スッキリ」で、いじめ対策特集を見ました。

唸りましたね。ツボを突いているっていうか..素晴らしかったです。

あんまり良かったので、紹介してしまいました。

 

ツボは、日本の学校のいじめ対策が難しい理由、と

世界のいじめ対策でした。

 

まず日本の学校でのいじめは、先生の弱みに関連して対策を

取りにくくなっているらしいです。

学校の教師が自分の教室で「いじめ」が発覚すると、

明文化された規定はないが、不文律的に、

教師の評価を学校側が下げるらしいです。

そういう空気がどうしても残っているそうです。

 

いじめ=教師、学校の責任となってしまうので、

そうなると。

先生も雇い主の学校側や父兄や、強い系の生徒達に突き上げくって、

いじめられていますからね。

先生のストレスや圧迫も軽減しないと、教師が自分の身を守るので

精一杯っていう状況にしたら、いじめ対策もいい教育も無理ですよね。

精神神経を病む教師がもの凄く多いっていうのは、

日本国家が根底から病んでいくっていうことにつながっていきそう。

 

で、昔の、いじめの程度が今ほどヒドくなかった時代でも、

いじめは大なり小なりありました。

だからいじめはあって当然ということにして、

逆に「よくぞ、いじめを見つけ出した」ということで、

まず第一段階で、教師に高いポイントをあげるということに

したらどうでしょう。

 

「スッキリ」によると、ねつ造・ぬれ衣もコワいですが、

日本の学校はいじめの「事実確認」というのをしている間に、

手遅れになってしまうということが多いらしいです。

 

「スッキリ」では、だからいじめ発覚で教師の評価を学校が

下げないことと、学校の中で部外者的に、子供達を見守る

補助員を置くことを提案していました。

どっちも素晴らしいですね。

 

あと、世界のいじめ対策も素晴らしかったです。

これももっと別番組で長時間特集をゴールデンタイムに放映してほしい

と思いました。

 

イギリスでは、本人だけでなく、いじめた子の親にも、講習を受けさせ、受講を拒否した

場合は、15万円の罰金を取るそうです。

 

フランスでは、いじめた子の両親を怒るのではなく、いじめた子に

カウンセリングを受けてもらい、その結果を両親にフィードバックし、

どうすればいいかもアドバイスして、良い結果を得ているそうです。

 

韓国では、いじめた子は、内申書にその事実を書き、進学就職にも

差し障るようにしているそうで、いじめの件数が1/5に減ったそうです。

 

アメリカでは、加害者にカウンセリングを受けてもらうことから、

いじめ対策を始めているそうです。

 

日本だけでなく、国力低下させる恐ろしい人災「いじめ」に、

各国が国をあげて対策に取り組んでいるようです。

 

親類縁者、職場にお子さんがおられる方が沢山いますが、

学童期の子供の一生を左右する「いじめ」は日本社会を根底から

揺るがし、日本人の精神、国民性までもを歪めていく感じがします。

 

いじめ世代は、やがて大人になって社会に出て行きます。

「スッキリ」でも言っていましたが、

「大人になってもいじめってありますよね」ということで、

やはり日本人の人間性を歪め、日本国家の生産性さえも低下させる

原因となっていくと思います。

 

 

最近のブログで、井上憲司氏がインド古典音楽について、

レクチャーを書いています。

 

あまり話すのが得意でない井上氏が、言葉少なに、でもとても楽し気に、

演奏者サイドから、ポイントを突いて書いているので、

昔に、インド古典音楽の本を数冊読んだことのある私が読んでも、

Ragaについて、再認識できて、これから聴く予定のコンサートが

更に楽しみに思えてきます。

 

インド古典音楽って、初めて聴いた人は寝てしまうことが多いそうです。

プロのミュージシャンのように敏感で特殊な耳の人以外は、

数回ライブに行って、耳が慣れるまで、いろいろなインド音楽の本に書いて

あるような「不思議な、あるいはぶっ飛んだ音楽」とは

聴こえないかもしれないです。

学問的な本もあれば感性が強い本もありますが、

いずれも間違っていないと思えます。

 

何回か聴き続けていると、やげて音楽がしみ込んできます。

 

でも、眠くなる、ただの心地よい、

純正律音楽のヒーリングミュージックとして聴いても

十分値打ちありますから。難聴治った人までいます。

 

Ragaって、素人の私にとっては、

音楽のエッセンスを抽象化したような、音楽の素的な

深さと良さがあるものに、思えます。

そして演奏者のその日の気持ちによって、その抽象化の度合いの、

ほどき加減、溶かしかた加減が変わっていくような感じ。

この世の成り立ち、現実世界の中の、どの辺りから表現していくか。

                                                   聴き手の入り方がどんなかも又聴こえ方に影響すると

思います。

抽象的なら高いとか、具体的日常的なら低いとか、

理性知性的なら高いとか、情緒的感情的なら低いとか、

そいうことは

まったくないです。そういう価値判断も疑問です。

人間ってその日の状態によって、いろいろだと思います。

演奏家が表現したいことも、同様だと。

 

ただ、聴き手がその時に潜在的に必要なことのヒントを、

何かしら得ることが出来たら、いいですね。

Ragaを「瞑想的」という方がいる理由の1つはそういうことでしょうか。

 

音楽を楽しみ、リフレッシュすることの他に、私がインド古典音楽が

大好きな理由には、それがあります。

不思議な音楽です。

 

世界中の有名アーティストを魅了してきたインド古典音楽。

何かしら刺激され、触発してくる音楽であることは、

今までも、これからも変わらないと思います。

 

井上憲司氏ブログ(2019/04/01〜02)

http://kenji-s-diary.blogspot.com/2019/04/raag.html

 

井上憲司氏インド古典音楽のあれこれ

http://kenjiinoue.com/#indian 

 

森の休日社

http://www.morino-kyu.com/index.html

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